著名なハッカー紹介:「Webの父」ティム・バーナーズ=リーとは?功績とWWW無償公開の哲学

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ティム・バーナーズ=リー(Sir Tim Berners-Lee)。この名前を聞いて、すぐにピンと来る人は多くないかもしれません。しかし、あなたが今こうしてブラウザを開き、この記事を読んでいる「世界」そのものを作った人物こそが彼です。

彼は、私たちが日常的に使う「World Wide Web(ワールド・ワイド・ウェブ、WWW)」の発明者であり、「Webの父」と呼ばれています。この記事では、彼が一体どのような人物で、どのような経緯でこの革命的な発明を成し遂げ、そしてなぜ自らその莫大な利益を手放したのか、その軌跡と「思想」に迫ります。

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ティム・バーナーズ=リーはどんな人物か?「Webの父」の素顔

ティム・バーナーズ=リー
画像提供: Silvio Tanaka, Wikimedia Commons
(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Tim_Berners-Lee_CP_2.jpg), CC BY 2.0

ティム・バーナーズ=リー氏は、1955年生まれのイギリスの計算機科学者です。彼は単なる技術者ではありません。2004年にはエリザベス女王からナイトの称号を授与され、「サー(Sir)」の敬称で呼ばれています。

彼を最も特徴づけるのは、「Webは開かれた公共財であるべきだ」という一貫した信念です。自らが生み出したWWWが、特定の企業や政府によって独占・中央集権化されることを強く懸念し、現代もなおWebの分散化と個人のデータ主権のために活動を続けています。彼が創設したW3C(World Wide Web Consortium)は、今もWebの標準規格を策定する中心的な組織です。


幼少期から順に辿る主要エピソード 1: コンピュータ黎明期の申し子

段ボールで作られたPCの模型

彼がテクノロジーと無縁でなかったのは、その出自にあります。彼の両親(コンウェイ・バーナーズ=リーとメアリー・リー・ウッズ)は、世界初の商用コンピュータの一つである「フェランティ・マーク1」の開発に携わった数学者・プログラマーでした。

食卓で交わされるのは数学やコンピュータの話題。彼は幼少期から、段ボール箱でコンピュータの模型を作って遊ぶような子供でした。オックスフォード大学では物理学を専攻しましたが、その傍らで、はんだごてを片手に中古のテレビとM6800プロセッサで自作コンピュータを組み立てていたと言われています。彼の「何かと何かをつなげる」という発想の原点は、この頃に培われました。


幼少期から順に辿る主要エピソード 2: CERNでの「情報洪水を解決したい」という課題

情報洪水のイメージ

大学卒業後、いくつかの職を経て、1980年代に彼はスイスにある欧州原子核研究機構(CERN)でソフトウェア技術者として働きます。

当時のCERNは、世界中から何千人もの研究者が集まる「知のるつぼ」でしたが、同時に「情報のカオス」でもありました。

  • 研究データは、それぞれの研究者の異なるコンピュータに保存されている。
  • 使っているOSもネットワークもバラバラ
  • 研究者は数年で入れ替わり、情報の引き継ぎが困難

「あの実験データはどこにある?」「このプロジェクトの前任者は誰だ?」——。ティム・バーナーズ=リー氏の悩みは、「どうすれば、この無秩序な情報を互いに関連付け、誰もが簡単にアクセスできるようにできるか?」という点にありました。


幼少期から順に辿る主要エピソード 3: 1989年「世界を変えた提案書」と3つの発明

www

CERNでの課題を解決するため、彼は1989年3月、「Information Management: A Proposal(情報管理:ある提案)」というタイトルの提案書を上司に提出します。この文書こそが、のちのWorld Wide Webの原型です。

上司の(今や伝説となった)メモには「Vague but exciting…(曖昧だが、エキサイティングだ)」と書かれていました。

この提案を実現するため、彼は1990年末までに、Webを機能させるための3つの核となる技術をたった一人で開発しました。

  • URL (URI): 情報の「住所」を決めるルール (Uniform Resource Locator)
  • HTTP: その住所に情報を「届ける」ための通信ルール (Hypertext Transfer Protocol)
  • HTML: 情報を記述し、リンクを埋め込むための「言語」 (Hypertext Markup Language)

さらに彼は、世界初のWebブラウザ(その名も「WorldWideWeb」)と、世界初のWebサーバー(CERN httpd)も開発。1991年、世界で最初のWebサイト(info.cern.ch)が公開されました。


幼少期から順に辿る主要エピソード 4: なぜ彼の発明が世界標準に?「無償公開」という英断

Web

ここが本記事の最も重要なポイントです。当時、似たような情報共有システム(例えば「Gopher」)は他にも存在しました。なぜ、ティム・バーナーズ=リー氏の「WWW」だけが爆発的に普及したのでしょうか?

それは、彼が「Webは全人類のものであるべきだ」と強く信じていたからです。

彼は、この技術で特許を取得して大儲けする道を選びませんでした。もしCERNや彼自身がライセンス料を徴収していたら、Webはここまで普及しなかったでしょう。彼はCERNを説得し、1993年4月30日、CERNはWWWの基盤技術を「パブリックドメイン(いかなる権利も主張しない)」として、全世界に無償で開放することを宣言しました。

この「英断」により、世界中の誰もが、自由に、無料でWebサーバーを立て、Webページを作り、Webブラウザを開発できるようになりました。これが、WWWが他の競合技術を駆逐し、世界標準のインフラとなった最大の理由です。


幼少期から順に辿る主要エピソード 5: Webの「今」と「未来」への提言

Webの普及を見届けた彼は、その「標準化」のために1994年にW3C(World Wide Web Consortium)を設立し、Webが特定の企業に支配されないよう舵取りを続けます。

しかし近年、彼自身は現在のWebの姿に強い懸念を示しています。

  • 巨大IT企業によるデータと権力の集中(中央集権化)。
  • フェイクニュースや監視社会の広がり。
  • 個人のデータが、本人の知らぬ間に利用されるプライバシーの問題。

彼は「これは私たちが望んだWebではなかった」と語り、Webを「再分散化」する(取り戻す)ための新しいプロジェクト「Solid」を立ち上げています。Solidでは、ユーザーごとに「Pod」と呼ばれる個人データストレージを持ち、アプリはこのPodにアクセスする形で動作します。つまり「データはサービスではなく個人に属する」仕組みです。これは、個人が自分のデータを自分で管理し、どのアプリにアクセスを許可するかを選べるようにする、次世代のWeb構想です。


まとめ

ティム・バーナーズ=リー氏は、単に「World Wide Web」という便利な技術を発明した科学者ではありません。

彼は、「知はオープンに共有されてこそ価値がある」という強固な哲学を持ち、その実現のために自らの発明を惜しげもなく世界に「寄付」した人物です。

私たちが今、自由に情報を発信し、世界中の知識にアクセスできるのは、彼の「無償公開」という英断があったからに他なりません。そして彼は今も、Webが本来あるべき「分散型でオープンな場所」であり続けるよう、戦い続けています。

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